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トニーに憧れて

トニー賞授賞式・ミュージカルが好き。名曲や名台詞で英語勉強&観劇記ブログです。

価値観の違いを意識して、自分の感覚を尊重したい

ある一つの作品をみて「おもしろい」「おもしろくない」と思うことはその人の自由で、感じ方はそれぞれその人にとっての正解。「こう思うことが正解」ということはない。

そう頭では理解しているんだけど、実際に「あぁおもしろかった…!」と思った後で、誰かが「いまいちだったな〜」という意見を見たときに感じる恐怖がわたしにはある。その誰かというのは、その分野に詳しいんだろうなとわたしが感じている人。自分と正反対の感想に、自分がまちがっているかもしれない気持ちがよぎることがある。

それは「的外れ」「おかしい」「それは違う」と言われるなかで”わたしの意見は間違ってるんだ”と思ってしまうようになっていたからかもしれない。わたしは自分の意見をいうことに苦手意識があり、誰かに自分の考えたことを伝えるときにどう思われるかを想像して感じる軽い恐怖のような感情。

共感してもらえるときは、もちろん「仲間だ♡」と嬉しい。
が、否定されるのは、怖い。
その裏には、
否定されたら、悲しい。
軽蔑されたら、悲しい。
距離を置かれたら、悲しい。
という気持ちがあるのだと思う。
そうしてあたりさわりのない感想を言ってしまう時もある。

でも、全てが共感できるあたりさわりのない意見ばかりの世界はつまらない。
ある作品について、面白いと思うひともいれば、面白くないと感じるひともいる。
印象的なシーンがぜんぜん違う場所だったりする。
全く違う解釈をしていたりする。

感じることは自由だ。
誰も自分の代わりに何かを感じることができない。
違う意見があるからこそ、別の見方を知ることができる。
たとえ監督が意図したことと全く違う解釈をしていたりしても、
それもそのときの自分にしか感じられない自分だけの感覚。

価値観が違うことは当たり前のことだと意識して、自分が感じたことをまずは信頼していたい。否定される恐怖で自分の感じたことは違うのかもと思うことは、それは想像の恐怖で自分の感情を否定することだ。否定されたとしてもそれは自分を否定したのではなく、相手と自分は違うから価値観が違うだけで、感情に正解はない。自分の感じたことを大切にすることは、自分だけでなく、他人のことも尊重できるようになるということ。想像に過ぎない恐怖で意見を押し込めるのではなく、価値観を尊重し合える人と思いを吐き出し合える世界で生きていきたいなあと思う。